solvitzは最終的に
「○○ないを解消し、夢を叶えるお手伝いをするための、プロフェッショナルチーム」
を目指しています。初期の頃は
「ナレッジワークの便利屋」
というコンセプトで営業しておりましたが、その概念を目的レベルまで掘り下げて考えた場合に行き着いたのが、上の目標です。
「○○ない」というのは、例えば「できない」「知らない」「わからない」等の、可能性・希望・能力などの否定であったり、ストッパーとなっているような物事です。
今現在、確かに「○○ない」ことというのは、大抵、もし、誰か身近に、的確に手助けしてくれるヒト、モノがあり、努力とともに活用すれば、なんとかできてしまうものではないか、と思うのです。それを実現する信頼できる者同士の横のつながり、つまりプロフェッショナル集団を作るというのが、solvitzの目指す姿です。
私は「貢献」とそれに対する「正当な評価」に、最上級の幸せを感じます。それは、無差別、無配慮に「貢ぐ」ことではなく、自ら、お役に立ちたいと思える相手との合意、相談の上で、その時点で出来うる最高のカタチ、つまり
「希望や夢、能力を引き出し、見極めて、お役にたち、喜んでもらうこと」
が、同時に自分自身の最大の喜びだということです。
こういう考えを公に述べると「奇妙な人だ」「偽善者だ」「宗教?」などと言われることも少なくないし、また、リアクションを恐れて、公言を避けていたことがあるのも事実ですが、それは「生きざま」「現実」のみが、「結果」として物語ることで、私がここで、それに対してどんなに丁寧に反論や弁明をしようが、何の価値をもたないと思います。
なので、そういうことは致しません。また、「なぜどうして」の、哲学は丁寧にしますが、それ故に、宗教にも入っていないし(慣例的な法事はしますが)、特定の思想に執着し、毒されることもないです。
ただ、自分が今までいきてきて、苦しく長い問答の上で辿りついた結論として、自らの人生、一生をかけてやりたいことがあるとすれば、上に書いたようなことである、ということであり、そこにまっすぐに向かっているというだけです。
ヒトが、可能性を開き、はばたき、飛び立つこと。それを、自らも体現し、示すこと。
考え方に共感し、お仲間になってくださる方がいらっしゃたら、今すぐ、どうこうというわけではないですが、これからも末長く、よろしくお願いしますm(__)m人が前向きに、やさしく、素直で、豊かであれる、暮らしやすい日本、世界にしていきましょう。
「あのクソガキがこういうことを考え、するようになったのか」と感じられる同級生や、昔の友人、恩師がたもいらっしゃるかとは思いますが、きっかけがあれば、人は瞬間から変わっていくわけで、近くから遠くから、暖かく見守ってくだされば幸いです。
solvitz代表 新渕啓太